開発虎ノ門コンサルタントの歩み

[1953〜]

社団法人日本開発技術協会を設立

●我が社前身の社団法人日本開発技術協会の創設

我が社誕生の胎動は創立10年前の昭和28年に始まる。

同年、「社団法人日本開発技術協会」の創設がそれである。

後に初代社長となられた本間徳雄が理事長となった。

業務は、土木技術に関するコンサルタント業で今日我が社のそれと何ら変わった点はない。しかし、当時としては稀な業種であり、今日の建設コンサルタント業界の位置、規模を予想する者は少なかった。

当協会は、日本が経済・社会復興に邁進する真っ只中、水力発電を主軸に水資源活用とエネルギー供給の整備に使命を持ち、高度経済成長の一翼を担った。

我が社の水力発電技術の礎となった豊満ダム(満州国)

協会時代の歴史は、技術分野と発注者別において3つの時代(発電水力専門時代、専門分野拡張時代、分業時代)に分類できる。各時代は株式会社への成長過程であるとともに、日本の高度経済成長過程を如実に反映している。

1)発電水力専門時代(昭和28年~昭和31年)
発電水力以外の委託業務はほとんどなかった。例外として東京都下水道の枝線設計、送電線測量があったが極めて小部分を占めたに過ぎない。この時代で手掛けた発電所の実績は、「大滝発電所実施設計(大畑営林署)S28.2」、「琵琶湖電源開発実施設計(滋賀県)S28.5」、「蓼科発電所設計(長野県)S28.12」、「瀬田川発電所実施設計(滋賀県)S29.11」、「田代川水力発電設計(宮古市)S30.5」、「大洞発電所実施設計(埼玉県)S30.11」などがある。

2)専門分野拡張時代(昭和32年~昭和34年)
発電水力関係は昭和33年~昭和34年に施行された埼玉県営大洞発電所の工事設計変更、検測等を最後に委託されることが無くなった。その一方で、発電水力の建設に付随する付替道路、橋梁、上下水道、地質等の知識と技術を拡張して、土木全般に亘る専門分野の調査設計を手掛けるようになった。この時代で手掛けた業務は、「環状八号線蒲田跨線橋設計(東京都)S32.7」、「若宮ポンプ場設計(東京都)S34.3」などがある。

3)分業時代(昭和35年~昭和37年)
昭和35年池田内閣による所得倍増計画に象徴される重化学工業への設備投資が、爆発的に増加してきた時代である。それに伴い協会では道路、橋梁、上下水道等に加えて、製鉄所、製油所のプラント基礎の設計が増加し始め、専門分野を拡張して主に道路関係と橋梁・構造関係との分業時代に入った。